2012年9月24日月曜日

[サークル活動] 龍安寺、大徳寺(大仙院)(2012/09/23)

今回の庭サークルの活動内容は、「京都のどこかの枯山水と西芳寺(苔寺)を愛でる」だった。
今回の参加者は3人。

午前11時、3人は三条の鴨川が望めるカフェに集合した。つまり、スタバに集合した。
しかし、二日目の苔寺の参観の予定は決まっていたが、一日目の予定は・・・未定だった。
カフェでの枯山水ミーティングで、この日宮崎から来た男がある提案をした。
それは、「桂離宮を愛でる」。

桂離宮は苔寺のと同じように、事前予約が必要な所だ。
三ヶ月前から予約が始まる。毎月頭に三ヶ月後の予約受付が解禁されると直ぐに埋まってしまう。
それが「桂離宮」だ。

予約は京都御苑内にある宮内庁京都事務所参観係でできる。
その人気ぶりから、前日に行って翌日の予約をすることなどまず不可能だろう。
しかし、二日目に桂離宮を参観するべく、事務所にアタックすることになった。

桂離宮アタック。

京都御苑に到着し、宮内庁京都事務所を探し歩く。
あった。
人気が、無い。凄い。空気が澄みすぎていて人気さえ感じさせない。
いや、人気が・・・無い。
まさかの、休業日。
土日は休みだった。。。

桂離宮アタックに失敗した三人は龍安寺を愛でることに決め、早速向かった。

無料サービスの香葉茶を飲み、その旨みに絶賛し、そして、龍安寺に向かって敷地を歩いた。
前日は雨。当日も朝方は小雨だった京都。苔が生き生きしている。深い緑の光を放つ苔に目を奪われすぎて龍安寺に入るまでに30分ほどかかるという庭サー「枯山水」にありがちなことをやってしまった。

遂に龍安寺に入る。
そして、遂に、「ロック・ガーデン」の名で国際的にも知られる枯山水庭園「虎の子渡しの庭」を愛でた。
15の石。
縁側からは同時に15の石を見ることが出来ないというもの。
それを完全ではないと捉え、つまり衰退を知らないと解釈する。(という考え方もある)
そして、見たかったつくばい(のレプリカ)。
(本物は茶室の手前にある。茶室の前には手を洗う場所が必ずある。龍安寺のそれは手を洗うのに這いつくばる必要があることから、「つくばい」という。)

「吾唯足知(われただたることをしる)」

今宵の宴会のため、つくばいの形をした栓抜きをこっそり買った男がいた。

そして、龍安寺の敷地面積の半分を占める鏡容池を回遊して、龍安寺という宇宙を後にした。

続いて向かったのは、前回時間切れで参観できなかった大徳寺の高桐院。
しかし、高桐院の前に大仙院を愛でようということになり、高桐院は後回しとなった。

大仙院は撮影不可。
撮影不可なので自分の目を隅々まで走らせ、映像と解説を脳に刻む。
豊臣秀吉と千利休がお茶をした茶室。
豊臣秀吉が眺めて感動した枯山水庭園。
うぐいす張りの廊下。(現代で言う・・・セコムです!)
庭は反時計回りで進むにつれて石がなくなっていく。石は煩悩を表すと考えられ、最後には煩悩が消えて悟りを開くことが出来ると考えられる。
しかし、最後の庭には石こそないものの、おっぱいを思わす大きな砂山が二つ。それを見て、おっぱいを連想してしまい、煩悩が現れたなら、もう一周回ればよい。
それが、大仙院。

何代目かの住職さんが書いたと言われる掛け軸がいくつかあった。

まずは、「気心腹人己」
この文字を独特な書き方により次のように表している。
「気は長く、心は丸く、腹は立てず、人は大きく、己は小さく。」

それから、
※※※※※※※※※※※

心は  行動となり
行動は 習癖を生む
習癖は 品性を作り
品性は 運命を決する
※※※※※※※※※※※
この言葉には感動した三人。

しかし、この後、高桐院に行った三人は門の閉まっているのを確認し、綺麗な歩き方で大徳寺を後にした。

そして明日は西芳寺(苔寺)。
三人は京都の夜を楽しみ、そして眠りについた。

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