2012年10月30日火曜日

実家の庭を日本庭園化してみました

庭サーの皆さん、そして侘び寂びを愛する世界中の皆さん、こんにちわ。

実は1ヶ月ほど前から、毎週のように実家に帰り、実家の庭の一部を自分だけで日本庭園化するというプロジェクトを始めております。

限られた時間の中、少しずつ完成を目指しています。

庭ジャンルは、苔庭です。
苔研究の場としても利用するためです。

それでは、現在までの我が家の庭をご覧くださいませ。


ビフォアはこんな感じです。この一画だけ、私が頂きました。


整地しております。


苔の採取に出かけます。


道端は苔の宝庫です。
いろんな場所で、少しずつ頂きました。


バケツ一杯の苔をゲットしました。


苔を少しずつ敷き詰めていきます。


苔が足りないのでまたまた採取に出かけました。
もう一度言いますが、道端は苔の宝庫です。


スナゴケもゲットしたので、飛び石の回りはスナゴケを敷き詰めていきます。
スナゴケは背丈があるので、飛び石を優しく囲んでくれます。
雨上がりのスナゴケは素晴らしいです。


スナゴケさん、水を浴びてパッっと開いています。


一番大好きなホソバオキナゴケもゲット成功です。
木の周りはやはりホソバオキナゴケで包み込んでいただきたいです。
どんどん広がっていって欲しいものです。


京都の道端で採取した苔です。
なんという苔なんでしょうか。ホソウリゴケでしょうか。わかりません。



現在はこんなところです。
写真にはありませんでしたが、スギゴケもゲットしました。
10本ほどですが、増殖目指して大事に育てたいと思っております。


最後まで見ていただいてありがとうございました!


2012年10月8日月曜日

[サークル活動] 東福寺 芬陀院(雪舟庭園)(2012/10/06)

今回のサークル活動は、京都駅に15時に集合。
その時点ではまだ、どこを愛でるのかも決まっていなかった。

急遽の開催だったので、参加者は2名。
石川県と愛知県から参加した2名。

15時集合ということで、すぐに拝観時間が終わる。
きっと今回愛でることができるのは1箇所だろう。
なぜなら、いつも拝観するまでが長いから。(苔や石やに見とれて普通の人の3倍は時間がかかる。。。)

さて、今回は京都駅から1駅で行ける、東福寺に決まった。
その中でも、気になった「芬陀院」に決定。


と、ここで、
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【芬陀院の庭について・・・】

芬陀院の庭園は、「雪舟庭園」または「鶴亀の庭」と言われ、あの雪舟が築造したとされている。
様式は、禅院式枯山水庭園。
京都で最古の枯山水庭園のひとつ。

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雪舟という言葉にモチベーションの上がった二人はJR東福寺駅に到着。

駅を出て数秒後、前を歩く石川県から来た男が、職務質問中の警官に向かってそっと手を挙げる。「よう」とでも言わんばかりに。
そしてそのまま通りすぎていった。

後ろを歩くもう一人の男は、その時はその行動の意味が全くわからないものだったが、後から聞いたところによると、なんと、学生時代にとても仲よかった友達だったという。。。



いやそれならもっとリアクション!!!!!



二人は芬陀院へ向かった歩いた。
苔の本をそれぞれ片手に持ちながら。
道端に苔を見ては立ち止まる。


ホソバオキナゴケらしき素晴らしい苔を見つけたので、採取!(私有地以外でのホソバ発見はなかなか珍しい)
男はカバンから持参したジップロックに苔をそっと入れた。

芬陀院へ行く途中、東福寺洗玉澗に架かる臥雲橋を渡った。
この橋は木造の廊橋で、紅葉時にはここから見える景色が素晴らしい。
シーズンにはこの橋で大渋滞が起こる。



そこを越え、苔のせいでなかなか前に進めない。
スギコケでも時間を食われた。


なんと一時間ほどの時間をかけてようやく芬陀院に到着した。


ついに雪舟庭園を愛でることができた。

今までに愛でてきた枯山水は、心を落ち着かせつつも、何かメッセージのようなものを感じることが多かった。
しかしこの雪舟庭園は・・・
ひたすらに、ただひたすらに、心を沈める。。。座って、観て、数秒後には心の波が消えて行くこと確かに感じる庭なのだ。

それは確かであり、次々に参観者が訪れるのだが、皆心の波を沈められたように黙っているのだ。
この庭にはそんな力があった。


茶室からの眺めの素晴らしい。



どの部屋からも庭園が眺められる。障子に切り取られた絵画。



玄関を入ってすぐに目に入る掛け軸。
洗心。
なるほど、帰りにこの掛け軸を見て理解ができた気になったのであった。
 
洗心。
これができるのが芬陀院の庭なのかもしれない。
心を波を沈めることによって洗心。
前に進もうとする者によって、心の波を沈めることはネガティブだろうか。
つまり、洗心はネガティブなのだろうか。

愛でた者だけがわかる、答えはポジティブだ。


洗心の技術を持つことが重要である。

運命を決するものは、品性である。
品性を生むものは、習癖である。
習癖を作るものは、行動である。
行動を起こすのは、心である。

その心はすべて、洗心の上で育むべきである。